今書いている詩(147)


    たろうさんの不眠(2)

 朝方3時頃まで眠れなかった。寝付きが悪いのです。その上ここ数日忙しくて時間が不規則である。前の日は5時起きで、よる8時30分頃にやっと帰れた。 羽田への行き帰りで派遣先で深く寝てしまったこともある。それに遅く食事をした上に食べ過ぎである、なぜこんなにも働かねばならないのかという不満のやけ 食いもあるのだろう。帰ってきた顔を見れば不機嫌さが顕れている。態度も良くない、長椅子の上に荷物をどさっと置く、口数が少ない。あと2週間もしたら退 職日だというのに仕事をもうしたくないのだ。仕事に復帰して1ヶ月になる。毎月80~90時間の残業で朝は家を6時30分に出て、帰りは8時頃という生活 を2年近く続けた末の帯状発疹であった。ブログを書く時間がこれに重なったことも影響している。疲れのピークが来ていたのだろう。テレビで快眠の方法を放 映するのは不眠の人々が増えているのだ、大人ばかりではない子供たちもそうである。眠れない社会、寝付きの悪い生活のためである。たろうさんの場合は運動 不足もある、ストレスはもちろん影響している。寝付かれないままに、ふと思い出したのだ「たろうくんのニワトリ」の詩の続きを、たろう君に言われてニワト リをお父さんはどうしたのだろうか?殺してみんなで食べた記憶がない、どこかに逃がしたのなら良いが嫌々ながら殺したのなら、その時のお父さんの気持ちは どうであったのかと!そこまで考えが及ばなかった、たろうさんの浅智慧をである。89歳で死ぬ1週間前に病院に見舞いに行ったときに「たろう 救命丸飲ん でいいかな」と訴えた父、なぜあのときに「いくらでも飲んでいいよ」といってやれなかったのか、妻にそのことばかりが心残りだと何度も言ったものだ。父は 病院には1週間入院しただけで亡くなった、家にいるときは這ってでもトイレにいっていた気丈な父であった。親鸞は「悪人でも救われる」と説いた、父のニワ トリ殺しの罪も救われないと困るのだ、たろうくんの犯した罪でもある。親鸞の「悪人とは」生き物を殺す仕事をする人々を指している。この眠れないときにた ろうさんの頭の中を「ドナドナ」の歌が繰り返し流れていった、イディッシュ(中東欧ユダヤ文化)の歌で、牧場から市場へ売られてゆくかわいそうな子牛の歌 である、子牛は殺されるのだろう、不思議だった。父は息を引き取るときにその魂は鹿沼の直ぐ下のやはり病院にいた弟の所に飛んでいったらしい、従兄弟に 「父が死にました」と電話で伝えると叔父は「今八王子が来たよ」と話していたという、父は鹿沼に行ったことや弟が入院していることも知らない。そんなこん なでたろうさんが寝たのは3時でしたよ。