エッセイ「キッカケ」

  エッセイ「キッカケ」
                         清水太郎

「清水太郎さん、電話をしてくれてありがとう・・・」元気な声が聞こえてきました、北澤金重さん、82歳になられたそうです。
私が分析装置の仕事に、多少関われたのも、この人のおかげなのです。ラジオ少年だった私は、中学校を出ると、貧かったので直ぐ、働きに出ました。父が失対の友達に「ウチの息子はすごいのだよ」と自慢したことがきっかけでした。それが、北澤さんの奥さんのお父さんでした。中学生の同級生で、美人の吉江ちゃんのお父さんでもあったのです。
 この自慢話は、電話でお聞きして初めて知りました。亡き父の50年以上も昔の一面です、当時、私は高校に進学出来ないことを、恨んでいたからです。
昼間は働き、夜は定時制高校に行く生活でした、卒業するまで北澤さんと一緒でした、配線工です。この期間は、私が少年から青年にと成長する、多感な時期に重なります。この頃、北澤さんは会社の経営に苦労されていたようです。北澤かねしげ著「心の玉手箱 第3話」に詳しく書かれています。
私が勤めたのは東京電子という会社でした、そこには電子機器が、狭い部屋に並んでいたのです。北澤さんの他に、二人の技術者がいたのです。しかし、仲間割れのようで、去って行きました。ダイハツのミゼットが置いてありました。仕事を求めて来られた、何人かの人々と働きました。理学電気の仕事がなくなると色々な仕事もしました。ラジオの流れ作業も経験しました、兄貴のように思っていた人が、不倫関係に陥って、辞めて往きました。
理学電機では長崎誠三さん、米満澄さんを中心に熱分析装置の研究開発が行われていたのです。北澤さんの会社は、その製造部門に関わっていました。理学電機の若い技術者たちが、会社に訪れたこともあります。
 長崎誠三さんが新しい会社を立ち上げ、私も一員と成りました。前園、市橋、岡本、益田、秋山、村上の皆さんと出逢ったのも「アグネス技術センター」です。熱天秤分析装置の製造が主な製品でした、会社は方南町のニユーマーシャルハイツにありました。近くに、アントニオ古賀さんや沢村みつこさんも住んでおられ、会社を訪れたようです。若い技術者たちは情熱を持って製品の開発を進めていたのですが、エロ話にも花が咲いていました。今から思えば「エロ開発装置」の開発もしていたのですね。楽しい思い出です。
前園さんは真顔で「赤旗には、本当のことが書いてあるぞ」と言っておられました。
 米満澄さんは、アグネス技術センターに参加せず、大学に戻られ、研究者となられました。そのために、私との接点はありません。北澤さんはテクノエイトの常務となられてからも、助言を受けていたようです。
前園さんは営業センスのある方でした、学者の長崎誠三、米満澄さんとは違う面をお持ちで、のちに真空理工の社長になられ、そのあとを市橋さんが受け継ぎ、会社はアルバック理工の前身となりました。「島津の分析装置は、良いが、うちの会社のはもっといい」といって受注を取ってきたようです。
市橋さんは、岸・斎藤・氏と論文「熱量天秤―熱重変化と熱量変化の同時測定装置―の開発と応用」を学会で発表しています。
 長崎誠三さんは、昭和後期から平成時代の金属物理学者で出版経営者です。X線分析装置で白鳥事件の証拠となる、弾丸を鑑定し、その信用性を否定されました。今も、南青山に「アグネス技術センター」があります。私が通ったのも同じ北村ビルだと思います。確か、三階と記憶しています。或る日、下駄を履いて行き「誰だ、これを履いてきたのは?」と、呆れられた思い出があります。そのビルの入り口で、歌手の「都はるみ」さん、とすれ違いました。一瞬、驚いた表情でした、最上階に三浦環さんが住んでおられたからでしょう。私が最初につくったアンプで、都はるみさんの「あんこ椿は恋の花」を、元八王子町の田舎で、大音響で鳴らしていました。その後、鴨居の新生産業に、熱分析装置の製造拠点を移し、私も移りました。定時制高校卒業を機に、北澤さんをはじめ皆さんとも別れ、長崎先生とのご縁も切れました。長崎先生にいつの日にかお目に掛かりたいと、思っていましたが、先生は1999年に亡くなられました。
 アグネ技術センターの最初の頃ですが、学校のバスケットの時間に、一本の前歯を半分折って終いました、会社は保険がないので、現金で払ってくれました、一万円だったと思います。もう、上の縁の部分が減り、笑うとみっともないのですが、其の儘です。私の記念の印です。
 熱電対は当時、熱天秤装置のセンサーに使われていました。異なる二種の金属を接合すると、それぞれの熱電能の違いから二つの接合点を異なる温度に応じた電圧が発生し一定の方向に電流が流れる。異種金属の2接点間の温度差によって熱起電力が生じる現象(ゼーベック効果)を応用した温度センサーである(ウィキペディア)。私も作った覚えがあります。
作家の埴谷雄高さんは、その作品「死霊」の中で起動力について主人公に語らせています。私は人間にも起動力があり、夫婦は、繋がって(接合して)温度センサーの熱電対のようになっているのだと思っています。異なる二つの線は、まるで私たち人間の縁と同じですね。

エッセイ投稿作品に、平成28年7月12日加筆しました。