清水太郎の歴史を見る目(2)

清水太郎の歴史を見る目(2)

 


ココログブログで2009年5月3日に「清水太郎の歴史を見る目」というブログ記事を書いていました。其れからもう10年経っています、パソコンからの投稿でした。現在は、iPad Air2、iPad Pro 11にSONY XZ3を加えた環境下で、情報を加え様々なブログへ投稿をしています。郷土史、詩人、エッセイストとしての活動を続けています。10年一昔」というコトワザがありますが、ネット環境の変化は、凄まじいスピードとなっています。5Gが直ぐ手に入れる事が出来るようです!しかし、人の心は、簡単に変わらないと思います。いつの時代でも「その時に人々が、どの様な心で想い、生きていたか」を記しておきたいと思うのです。「清水中世史研究所」という看板を自作し、現在地に宝生寺団地から引っ越してから4年を過ぎました。10年前と違うのは、体力の衰えです。一つの事をしていても、物忘れがしばしばあるようになっています。頭の中は、衰えて居ない、益々冴えて居る等と思っているのです。スピリチュアルな情報へ接して、何故生かされて居るのか、記録者としての使命を再認識しています。普通の人々の歴史は、墓石や過去帳から得られ歴史には、限界があります。記録を調べると寺の過去帳を辿れるのも寛文の頃からだと感じています。武士は、三代迄の覚えを口伝としていたようです。失われた記録を再現するには、「その時どの様に想い生きていたのか」その人の魂に近寄り知りたいと思うのです。作家は、想像上の人物を書きますが、「あれは、フィックションだからオカシイ」と言われる方がおられます。フィクションだとしても、それが書かれた人の想いであり「真実」を伝えているのかもしれません!言い伝えを否定するよりも「言い伝えの可能性」を検証する側に立ちたいと思うのです。古文書に記された記録の他にも真実は、あると思うのです。魂の想いを綴り書き加えるのも清水中世史研究所の仕事だと思っているのです。f:id:seibei414:20191123134233j:image