今書いている詩(1418)「天の涯に」

今書いている詩(1418)「天の涯に」

 


風に搖れる

木立の

その上の

また上で

 


地軸の

北斗七星よ

あなたの

柄杓は

私の手が

浄める

シンボル

 


半球の人々が

求める道標

平和と愛を誘う

北極星

導く

 


朝の日輪

夜の月輪

 


立ち止まっている

地上の

吾を永遠に

見つめる

 


妙見宮

天之御中主様

今宵も瞬く

心の

コンパス

今書いている詩(1417)「揺らす」

今書いている詩(1417)「揺らす」

 

飲む水の

マイボトルを

揺らす

置く

 


ボトルが

搖れる

揺れが

治まるまで

 


私の手が

外圧

 


貴女の

心も

身体も

揺らす

 


神さまの

身体も

揺らせるの

 


オヤオヤ

オマエは

ワッハッハ

トンデモナイ

イイコ

イイコf:id:seibei414:20191215213225j:image

今書いている詩(1416)「ハナテョ ハヤセョ」

今書いている詩(1416)「ハナテョ ハヤセョ」

 


照日 雲日

笑日 泣日

 


老いて

思い出に

頼る日

 


もう直ぐ

迎えの日が

上のか

下るのか

 


風が

吹くのかなぁ

 


思い出の

池が

凍りつく

 


枯れて

魚影も

弁天様も

空へ

 


水源地に

雨が降る

 


届かない

思い出の

言霊を

放つ

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今日のエッセイ「聖観音様も御同席ですヨォ‼️」

今日のエッセイ「聖観音様も同席ですヨォ‼️」

 


自分では、その場所に偶然行ったか?意思で行ったのか?等と考えても理解出来ない事もある⁉️人に出逢うのも同じ様に思うのですが?父の月命日と母方の祖父勘蔵お爺さんの戸籍謄本から、今まで知らなかった事実を確認出来たので、志村家から清水家へとバトンタッチした私の墓地に行ったのです。曽祖父嘉十郎は、カサンキョウと呼ばれていた家から分家したので新しい墓地となりました。隣が、西川信濃守(北条氏照公の医師)をしておられたの墓地なのです。何件か離れて所に新井家の墓地が、観音堂へ続く中段が中宿の線となっているのです。志村家の墓地が多いのですネェ❣️飯田家の隣にカサンキョウの墓地その隣に「お水」と呼ばれる志村家があります。その直ぐ下でお墓を掃除しているご夫妻がいたのです、墓石の裏に志村…と記されていました。「何方の志村さんでしょうか?」とお尋ねしました。女の方が「高尾の志村です」と言われたのです!その志村さんは、嘉十郎の二女(シマ)で元八王子の梶原家の裏にあった🤭慈根寺(ジゴジ)の本堂跡に住んでいた頃に、浅川駅(今の高尾駅)から廿里山の道を越えて母の所へ背中に籠を背負って「タツいるかぃ」と嗄れた声で子供の頃に来ていたのです。御陵の叔母さんと呼んでいた母の叔母で嘉十郎の二女て戸籍に記載されていたのです。最近その叔母さんの住んでいた家を探して当てましたのです。木住野さんの駐車場にあった借家が、御陵の叔母の家でした。私が、訪れた頃の記憶では、裏に山の斜面が迫って様に覚えていたのです。その記憶を頼りに探していたので、直ぐに見つかりませんでした。木住野さんのご主人に「この当たりに、志村の叔母が住んでいたのですが」とお尋ねしたのですネェ⁉️「その志村さんは、そこの駐車場にいた方でしょうネェ」「その家へは、私が壊しました」と言われてたのです。木住野さんのお宅周辺は、平地になっていたのです。近所の方に教えて頂きたいので、何軒か廻りました。その時に「志村さんと言うお宅が有りますよ」と教えて頂いて志村さんをお尋ねして、奥さんから慈根寺から此処へ来たと教えて頂きました。その時にご主人は、留守でした。ご主人のお爺さんは、お水の家の長男でこの墓誌に記されていますと言われたのです。中島家の戸籍から彌市の二女(ムラ)がお水の志村家の角次郎長男と婚姻していたのです。その長男が、高尾の志村さんのお爺さんでした。お水のかね子さんお宅へお伺いしたのですネェ‼️かね子さんは、「身体が悪くて倒れそうです」とやっと応対してくださいました。お水と私は、縁が繋がっていたのです。高尾の志村さんのお爺さんは、自分のされた事を詫びたかったのでしょうネェ⁉️その為の出逢いの場所が、カサンキョウの墓地のしたにある志村家の墓地だったのです。「カサンキョウの墓地と私に高尾の志村家の墓地のご夫妻」を呼ばれたのです。記録者の勤めが使命だと思っています。その出会いは、神仏先祖のセットされた時間と場所なのだと思います。時間と空間を超えて繋ぐ役割の定めを担っている「清水中世史研究所の祭主清水太郎」の終活の「ヒトコマ」ですヨォ❣️f:id:seibei414:20191203200335j:image

清水太郎の歴史を見る目(2)

清水太郎の歴史を見る目(2)

 


ココログブログで2009年5月3日に「清水太郎の歴史を見る目」というブログ記事を書いていました。其れからもう10年経っています、パソコンからの投稿でした。現在は、iPad Air2、iPad Pro 11にSONY XZ3を加えた環境下で、情報を加え様々なブログへ投稿をしています。郷土史、詩人、エッセイストとしての活動を続けています。10年一昔」というコトワザがありますが、ネット環境の変化は、凄まじいスピードとなっています。5Gが直ぐ手に入れる事が出来るようです!しかし、人の心は、簡単に変わらないと思います。いつの時代でも「その時に人々が、どの様な心で想い、生きていたか」を記しておきたいと思うのです。「清水中世史研究所」という看板を自作し、現在地に宝生寺団地から引っ越してから4年を過ぎました。10年前と違うのは、体力の衰えです。一つの事をしていても、物忘れがしばしばあるようになっています。頭の中は、衰えて居ない、益々冴えて居る等と思っているのです。スピリチュアルな情報へ接して、何故生かされて居るのか、記録者としての使命を再認識しています。普通の人々の歴史は、墓石や過去帳から得られ歴史には、限界があります。記録を調べると寺の過去帳を辿れるのも寛文の頃からだと感じています。武士は、三代迄の覚えを口伝としていたようです。失われた記録を再現するには、「その時どの様に想い生きていたのか」その人の魂に近寄り知りたいと思うのです。作家は、想像上の人物を書きますが、「あれは、フィックションだからオカシイ」と言われる方がおられます。フィクションだとしても、それが書かれた人の想いであり「真実」を伝えているのかもしれません!言い伝えを否定するよりも「言い伝えの可能性」を検証する側に立ちたいと思うのです。古文書に記された記録の他にも真実は、あると思うのです。魂の想いを綴り書き加えるのも清水中世史研究所の仕事だと思っているのです。f:id:seibei414:20191123134233j:image

今書いている詩(1415)「処光」

今書いている詩(1415)「処光」

 


天に

有明の月

空の

龍神

連なる

屋根から

処光

 


歩めば

心も

軽く

美味しい

貴女と

出逢う

 


空気感が

伝わって

朝飯前に

身体も

満福寺

 


妻の帰りは

昼頃に

娘夫婦と孫たちは

イチョウ祭へ

 


ベランダの

布団も

処光を

浴びてる

 


裏返しの

青春時代へ

紺のカバーが

ベランダで

反転する

 


北斗七星に

妙見宮

天乃御中主は

御手に

地軸を

握り締める

 


貴女から

届いた

処光を

戴く

 


73歳の

キテレツ

老人が

 


菜箸で

貴女を

喰らう朝が

有る

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今書いている詩(1414イヨイヨ)「有明の月」

今書いている詩(1414イヨイヨ)「有明の月」

 


月は天に

心を残し

残月

 


人も

芸道も

心を残し

残心

 


人天に

到れば

全て

無か

 


神も

仏も

亡き人も

この世に

心を残す

 


縁これなるか

釈尊の理有りに

全て縁によると

 


安心すべし

あぁ

よかった

なぁ

 


孫たちへ

我が心を

残も

有るなりf:id:seibei414:20191116104620j:image